
昨日は香港からのカップルをお迎えしました。
9月以降、香港からのお客さんは2組お迎えましたが、2組とも我が家の家賃をたずねてきたのはおもしろいなと思いました。
この間のお客さんもそうだけど、天草にやってくる人は「田舎」を求めている気がします。
人ごみとビルがひしめく狭小住宅に住む人の多い香港からすると、家と家の間隔が広く、一軒家の多い天草は特殊な場所に見えるのかもしれません。
国道からすぐなのに一歩入れば、自然がたくさんある我が家の周辺も
Special place!
とお喜びでした。
そして、彼らはローカルの人との関わりを求めている。
そもそも、うちみたいにホストの家に泊まるところを選ぶ人は、そういう嗜好の持ち主なんでしょうけど。
昨夜は先方の希望で、夕ご飯も一緒に食べました。
飲食業を持っているとお客さんの要望に合わせていろんなことができるので、許可を取ってよかったなぁと思います。
実際やってみることでそういう気付きを得られたこともおもしろかったですが、もうひとつおもしろかったこと。
なぜ香港の人は、英語の名前を持っているのか??
ジャッキー・チェンのジャッキーは、俳優業との兼合いかと思っていたけれど
お客さんもみんな持っています。
ジョンとか、ジェシーとか、ケイとか。。
聞いてみると「イギリスの植民地時代の名残りで、学校教育は英語でするから」という答えが返ってきました。
好きな英語名を自分で選ぶそうです。
香港は中国の標準語であるマンデリン、広東語、英語が学校や職場の共通語。
ひとつの言語だけ分かればやっていける日本がうらやましい。
そんなことを言っていました。
実は、日本の中でも相当言葉が違うし、全然通じないこともあるんだよね。
って言ったら、驚いていました。
そりゃ、そうでしょ。香港にだってマンデリンと広東語があるんだから。
こういうやりとりをしていて、旅をするのは「違い」を感じるためなんだなぁ。と思いました。
最近思うのは、日本のように同じ民族という前提があるとかえって意思疎通が難しいのでは?ということ。
たとえ同じ日本人でも、育った土地、生育歴、職業などバックグラウンドが違えば、ものごとの受け取り方は全然違う。
記号としての意味合いは伝わっても、真意までは伝わらない。
中には「(文字で)書いていないことは言っていないことと同じ」みたいな主張をする人もいるので
マニュアル並みに行間を埋めるような説明をしなければならないケースも。
そういう人が相手だと、文字ベースでやりとりをするときは分量が増えてしまうので、はっきりいって面倒くさいです。
日本人のくせに、この文脈でこの文章の意味分かんないの?
と思っていました。
でも、そういう人に対してイラつくのは、「分かるでしょ」という期待を持っているからだということに、最近ようやく気づきました。
期待しているから、伝わらないことにイラつき、居心地の悪さを感じる。
そもそも、相手は自分とは別の人間なんだ。
そう思って接すれば、どんな人に対してもイライラしなくなるでしょうね。
もはや「同じ」だと思う認識を改めれば、みんなハッピー
という結論にたどりつきました。
というわけで、今回は外国人旅行者とのやりとりから、なぜわたしがそれを「おもしろい」と感じるのか
どういうときに違いを楽しめるのかについて、掘り下げてみました。
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